きらきらチャレン人
~熱い想いが叶えた、23年越しの夢~
2016/09/12
今回、ご紹介する『チャレン人』は、「第98
回 全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)」で審判員を務めた、栃木県高等学校野球連盟審判員の松本 敏弘さんです。
高校時代に憧れた甲子園の地に、23年の時を経て、審判員というカタチで立つことができました。
再び「熱い野球」を!
恩師に導かれた「審判員」への道
松本さんは、幼いころから野球に興味を持ち、小学校4年生から始めました。
その後も野球に熱中し、高校では甲子園を目指して、熱い青春時代を送ったといいます。
しかし、その夢は叶わないまま、高校最後の夏は終わってしまいました。
社会人になってから、草野球に参加はしていたものの、「心から熱くなれる野球をもう一度したい。」という悶々とした気持ちがあったそうです。
そんな時、友人の結婚式で、高校時代に野球部の部長(責任教師)を務めていた堀江 隆先生と再会をしました。
堀江先生に、野球に対する夢や、また真剣な野球をやりたいという想いをぶつけたところ、当時、高等学校野球連盟の役員を務めていた先生は、「高校野球の審判員をやってみないか?」と声をかけて下さったそうです。
先生に誘われ、さっそく練習試合で審判をやってみることに。
すると、初めてジャッジをした瞬間に衝撃が走ったと言います。
「自分がやりたかったものは、これだ!」という感情が湧き起こり、そこから松本さんの審判員人生が始まりました。
松本さんは、今の自分があるのは堀江先生のお陰だと、本当に感謝しているそうす。
審判員としての使命
高校野球の審判員は、ユニフォームの胸に「F」の文字が入ったワッペンを着けています。
そこには、『フェアプレー・フレンドシップ・ファイト』の3つの意味が込められているのだとか。
松本さんは、高校野球に携わっている以上、高校生たちにそれらの精神を伝えることが使命だと感じているそうです。
また、現在、若い審判員が少なく、担い手が不足しています。
そのため、「審判ってかっこいいな!自分もなってみたい!」と、思ってもらえるように、ジャッジの仕方など気をつかっているそうです☆
渾身のジャッジ“パンチアウト”を見せて下さいました。
間近で聞くと、その声の迫力に驚きます!!
松本さんの正体
プロ野球の審判員は、その資格をもっているプロ審判員です。
あまり知られていないのが、『高校野球の審判員はアマチュアのため、完全に“ボランティア”である』ということ。
ほとんどの方が、仕事の合間を縫って審判員を行っています。
松本さんの普段の職業は、救命救急士。
松本さんは、救命救急士と審判員には相通じるものがあるといいます。
まず、審判員の「自分を信じて瞬時に判断する能力」。
これは、早急な対処が求められる、救命救急の現場に活かされるといいます。
逆に、救命救急士としてのスキルは、試合中に球児が怪我をした際に、大いに役立つといいます。
どちらの経験も自分を成長させてくれ、人生の糧となっていると感じているそうです。
夢の甲子園へ
審判員として掴んだ「甲子園きっぷ」
甲子園の審判員は、毎回審判員を務める「全国大会審判委員」と、数年に1度、各都道府県に割り当てられ派遣される「派遣審判員」がいます。
派遣審判員の枠は、たったの8人。
さらに、一度派遣された者は、再び甲子園で審判を行うことはできない、「人生一度限りの夢舞台」です。
今年は、7年ぶりに栃木県からも審判員が派遣されることになり、16年間、多くの試合で真摯に経験を積んできた松本さんが抜擢されました。
松本さんは、派遣が自分に決まった時は、涙を抑えることが出来なかったといいます。
かつて思い描いた夢とは違うけれど、23年の時を経て、甲子園に立つという夢をつかんだ瞬間でした。
夢の舞台で気付いた原点
4万人の観客がいるグラウンドに立つのは、人生で初めての経験。
その場に立ったとき、自分がどんな心境に至るのか、想像もできなかったといいます。
初戦の前夜は、ルールの復習や様々な状況を想定してのシミュレーションが頭を巡り、ほとんど眠れなかったのだとか。
初戦当日、緊張していましたが、グラウンドに立ち、ベースなどいつもと同じ光景を見たら、自然とその緊張は溶けたのだとか。
「試合の大小は関係ない。栃木でいつもやっているように自分を信じてジャッジするだけだ。」
そう思うこができ、冷静に集中できたそうです。
恩師と共に
松本さんは、今回、様々な運命的なことが重なり、喜びが何倍にもなったといいます。
恩師である堀江先生は、甲子園の大会役員を務めており、開会式の行進では生徒を先頭で誘導する役目も担っています。
自分を審判員に導いてくれた恩師と共に、甲子園という憧れの舞台に携われたこと。
さらに、自分が派遣された年に栃木県代表の作新学園が優勝したという奇跡。
たくさんの幸運が重なり、この上ない幸せを感じているそうです。
その堀江先生は、甲子園で松本さんが審判員を担当した試合を見守っていたそうです。
そして、その感想を「ジャッジは、どれだけ多くの人を納得させられるかということ。甲子園の舞台でも、ジェスチャーも声もダイナミックで、それが出来ていた。カッコ良かったよと。」語って下さいました。
そんな堀江先生から、松本さんは大会終了後に「大舞台に立った者は謙虚たれ」というお言葉を頂いたそうです。
松本さんは、その言葉を胸にこれかも謙虚でありたいと語ってくださいました。
松本さんにとって堀江先生は人生の師でもあるようです。
周りに感謝
松本さんは、こうして夢が叶えられたのは、周りの理解と協力があってこそだといいます。
試合が行われるのは土日のため、松本さんは、なかなか自分の子供たちの面倒を見ることが出来ないのだとか。
そのため、奥様には大きな負担をかけてしまっているといいます。
それでも審判員を続けさせてくれている奥様に、感謝の気持ちでいっぱいだそうです。
今年の夏の甲子園には、家族全員で見に来てくれたのだとか。
また、職場の理解あってこそ審判員は出来るため、皆さんの理解に感謝しているといいます。
これからの夢
甲子園という夢は叶いましたが、それは一つの通過点だと松本さんは言います。
昨年より、アマチュア審判員の中でライセンス制度ができたそうです。
ライセンスの種別は『国際審判員、1級審判員、2級審判員、3級審判員』
国際審判員のライセンスを取得すれば、将来、オリンピックなどの国際試合の審判ができる可能性も見えてきたといいます。
しかし、それは松本さんの数ある夢の中の一つ。
なんといっても、松本さんの心の芯にあるのは、「高校野球の素晴らしさやフェアプレー精神にのっとった正しい野球を高校生たちに伝えていきたい」という想い。
すべての基本は、高校のグランドだといいます。
松本さんは、「とにかく、一日でも長く高校生たちとグラウンドに立ちたいです!」と語って下さいました。
「一生青春」
そんな言葉を、松本さんの生き方は連想させてくれます。
大人になってもこんなに真剣に熱くなれることがあるって素敵ですね!
~松本さんの母校、黒磯南高校のグラウンド~
※2016年9月9日放送のRADIO BERRY『チャレンジing那須塩原』でご紹介しました。
チャレンジing那須塩原~一歩踏み出す人を応援するまち
「立ち向かうユウキ」「乗り越える強いココロ」「きり拓くチカラ」
僕らは、先人からフロンティア-DNAを受け継いでいる。
だからこそ、新しい世界に挑み、チャレンジする人を応援できるのである。